【協同ネット通信 No.81 ①特集】フリースペースコスモ 夏のとりくみ

※この記事は、当団体が発行している広報誌「協同ネット通信」No.81(2023年秋号)に掲載された内容をWeb用に再編集したものです。

コスモの歴史に名を残したい

6月頃、今年も夏の企画の話し合いが始まった。コロナ禍に置いても、一昨年の10泊キャンプ、昨年の四万十冒険旅行と、経験を積み重ねてきたメンバーたち。今年は何をしようかという話し合いの中で、「まだ自分たちもコスモの先輩たちもやっていないことをしたい」「コスモの歴史に名を残したい」といった意見が出て来た。そんな中で候補に挙がった“日本一の高さを誇る富士山に登る”という挑戦。しかし、実は2018年夏の企画として富士登山は実施されており、しかもその企画に参加したコスモの先輩からは「登山は自分との闘い。団体戦ではなく個人戦だ」という登山ならではの難しさも聞いていたのだった。

だが、ここですぐに諦めてしまわないのがみんなのすごいところである。ならば先輩たちが歩いた一合目から山頂へ続く道を辿るのではなく、『海抜0mから標高3776mの山頂を目指して歩く』というなんともハードな道を行くこととなった。こうしてコスモの夏の企画に初挑戦というメンバーも含め(小学6年生~高校1年生年齢)、約50㎞を歩く全7泊8日の富士登山冒険旅行に向けて準備が始まった。

合言葉「いつも支え合う富士登山」

準備を進めていく中で、体格や体力に違いのある者同士がペースをそろえて歩くことの難しさを痛感していく。ただ歩くだけでなく、そこに荷物を詰めた重いザックを背負えばなおさらのことだ。ウォーキング練習を始めた当初は、ザックを背負わない状態で5㎞~10㎞を歩いており、昨年の四万十冒険旅行を経験しているメンバーを中心に楽しく会話もしながら歩く余裕が感じられた。だが、高尾山や陣馬山での登山練習や、荷物を詰めたザックを背負って歩く練習を重ねる中で、ペースをそろえることや声をかけあうことを意識する余裕がメンバーたちから徐々になくなっていった。

この冒険旅行をどうしたら個人戦ではなく団体戦にすることができるのか、そのために何ができるのか。みんなで考えようと話し合いの機会を設けても、なかなか全員がそろうことはできなかった。それぞれが不安や迷いを抱えながらも、決まったこの冒険の合言葉「いつも支え合う富士登山」。誰一人欠けることなく、“みんなで歩ききりたい”という想いが込められていると感じた。

支え合うとはいったいどういうことなのか

8月23日、待ちに待った「富士山冒険旅行」の始まりの朝。多くの仲間や先輩たちが見送りに来て、「頑張れ」と元気をくれた。電車にて静岡県富士市へ行き、出発地点の鈴川海浜スポーツ公園にて、海面タッチをして、いざ、標高3776m頂上を目指し歩き始めた。

海抜0メートル、田子の浦に海面タッチをしてスタート。

ただ、どれだけ天気に恵まれても、出来る限りの準備をしてきても、何が起こるかは分からない。体調不良のメンバーが出て、翌朝帰宅をすることとなった。実は出発3日前にも、メンバーのひとりが「参加をしない」という選択をしていた。直前までみんなと一緒に準備と練習を重ねていた中で、自分の体力では歩ききることは難しいと感じつつ、挑戦したいという想いがあり葛藤していたと言う。今回は参加を見送ったが、来年以降、挑戦したい時に挑戦できるようまた準備をしていこうとスタッフと話をして、他のメンバーにも自分の言葉でその想いを伝えていた。みんなはその気持ちを受け取りつつも、やはり戸惑いと寂しさを感じていたのだと思う。そして2日目にして、またひとり仲間が減るということ。みんなの顔には、“なぜ気が付いてあげられなかったのか”、“自分に出来ることはなかったのか”という気持ちがにじんでいた。その日のメンバーの記録には「立て続けに2人もメンバーがいなくなってしまって、助けられなかったという後悔が襲った」、「本当に自分は何も出来なかったなと思いました」と綴られていた。

それでも、どんなに落ち込むことがあっても、日は昇るし、腹は減る。土砂降りの雨に打たれても、キャンプ場の炊事場で夕飯を立ち食いすることになっても、洗濯物が乾かなくてスパイシーな匂いがしてきても、また朝になればご飯の準備をして、食べて、目の前にそびえる富士山頂を目指して、一歩一歩歩みを進めた。

4日目、終日キャンプ場にとどまり翌日からの富士登山に向けて身体を休めると同時に、冒険前半の振り返りミーティングを行なう日だった。徐々に歩くことに慣れて声を掛け合って進んでいるという声がある一方で、自分自身について振り返るとみんななかなかストイックな認識をしている。体調不良者に気が付けなかった後悔や、歩くスピードが遅くみんなに迷惑をかけているという申し訳なさ、頑張っているけれどチームの役に立っているのかという不安…「支え合う」ことを大事にしてきたからこそ、自分は誰かの支えになっているのだろうかと感じているようだった。

体力的に余裕のある人だけで集まってトラブルなく進むことが大事なのか、そうではない。年齢も体格も経験も異なるメンバーが集まり、それぞれの想いを持ちながら挑戦していくことに、この冒険旅行の意味がある。メンバー同士、互いのことを振り返ってみると「いつも重たい台車を押してくれる。ありがとう」「洗い物とかすぐ気が付いて動いてくれる」「いつも楽しそうで一緒にいると明るい気持ちになる」「みんなの中心にいる、尊敬している」そんな言葉がたくさん出てきた。何かが出来ることがすべてではない。あなたが共にいてくれることに支えられているということを互いに伝えあい、安心感を抱いて、もう一度“みんなで歩ききりたい”ということを再確認した一日だった。

日本一高い場所に

5日目、ずっと眺めて来た富士山にやっと足を踏み入れた。後半は山のプロであるガイドさん「ガッツ」「たいやき」二人と合流し進んだ。メンバーの体力や反応を見ながら、歩きやすいペースを作り、動植物や気候や自然に関する知識をわかりやすい言葉で教えてくれる、ユーモアも忘れない。山のプロは流石だと認識すると同時に、あっという間にみんなは二人を好きになっていた。移り行く雲海、森林限界、宝永火山、美しい朝日、山小屋のカレーを楽しみながら、六合目の宝永山荘、九合目の萬年雪山荘と順調に進んでいった。

いよいよ山頂へ挑む時が来た。朝2時に起床し、3時前には外に出た。暗くて寒いが、それを吹き飛ばす期待感と高揚感。満天の星の下、声を掛け合いながら進んでいく。最後まで団体戦で行くんだ、みんなで歩ききるんだ、そんな想いが感じられた。徐々に空が明るくなっていき、お互いの顔が見えてくる。息を切らせながら、ここまで頑張ってきた自分の身体をなんとか動かし、一歩ずつ山頂へ。雲海の中から昇る太陽、全てを茜色に染めていく。そして日本最高峰の剣ヶ峰に到達。一緒に練習を重ねてきた仲間の名前を共に掲げて、全員で記念撮影をした。メンバーたちの全身から「ついにやったぞ」という満足感と達成感が溢れていた。

(文・よねはらしの)

標高3776メートル、日本一の高さに立つメンバーたち。

始まりは個別のミーティングから

4月、今年度の「やりたいこと」を話す個別ミーティング。一人ひとりと対話して、それぞれが持っている今年度の活動への願いや希望を聞き取っていく。冒険旅行に参加する自信はないけれども、それでも何かいつもとは違う新しいことに挑戦したい!そんなメンバーYさんと企んだのが、全国のJ R、普通・快速電車が乗り放題になる青春18きっぷを活用した電車旅だった。

若い頃、18きっぷで関西方面によく行っていた。地元のいつもの駅といつもの電車が、まだ見ぬ土地とへ繋がっている予感にワクワクしたものだ。その感覚をいつかコスモのみんなと味わいたいなと思っていたが、みんなといろんな冒険をしたりしているうちにすっかり忘れてしまっていた。そういう意味ではずっと温め続けてきた企画であったが、いざ実行しようとなると、一人旅とは違う難しさがあることに気が付く。どこに行けばいいのだ?一人ならば、目的地なんてどこでもいい。ただぶらっと知らない土地を巡るのが味わいになる。でも、「みんなで」となると趣味も興味も違うのだからそんなわけにはいかない。さて困ったぞ、となるのだが、ここからがコスモのメンバーたちの力の見せ所。

自分たちで楽しい旅をつくりあげる

この旅に参加したのは、私と一緒に最初にこの企画を企み始めた小学5年生年齢1名と面白そうだと集まってきた中学1年年齢3名。コスモ歴も3ヶ月〜3年とバラバラの4名だったが、それぞれの経験値を活かして旅の実現に向けて話し合いを進めていった。「コスモの旅なんだから、なにか目標が欲しいよね」そんな声が自然と上がり、そりゃそうだとみんなも賛同。たまたま日程中にねぶた祭りが開催されることがわかった青森に目的地を定め、ミニねぶたを作り、見学だけではなくて「はねと」として参加することにした。3泊4日、交通機関も宿泊地もメンバーが参画して決定した。与えられた楽しさを消費するだけではなく、自分たちで創り出す楽しさを味わうことは、コスモの日常的なテーマの一つであるが、この旅でも遺憾なくその成果が発揮されたのではないだろうか。

実際に、この旅はとても楽しいものとなった。予定通りの電車を乗り継いでいけるのかどうか(実際に我々の乗っていた電車は2回ほど緊急停止した)、親とではなくメンバーと二人でホテルの部屋に泊ること、わざわざ「祭りガチ勢」が集まるテント村でキャンプすること、ねぶた祭りで地元の人たちに混じり「ハネト」として参加すること…家庭での旅行ではなかなかやろうとは思えない状況に、思う存分挑戦してきた。しかも、これまで家庭に依拠してきた安心感を一緒に旅をする仲間たちに託して、だ。今回のこの旅は、自分の身体と仲間との絆で歩き切る冒険旅行ではなかったけれど、挑戦の要素としては全く同質の「冒険旅行」だった。初めてのメンバー、年少のメンバーを中心としたグループだったけれど、旅を力を合わせて楽しみ尽くしてきた。そんな夏になった。

(文・さとうしんいちろう)