【協同ネット通信 No.86 ① 特集】民学産公協働研究事業 第1回 子ども・若者理解と支援の課題 報告

増え続ける不登校・いじめ、そしてひきこもり。そのような状態になっていなくても、孤立感をもつ子ども・若者は増えているという。子ども・若者が豊かに成長していけるコミュニティをつくることをミッションとする私たちにとって、見過ごせない状況が広がっている。とはいえ、支援機関に訪れる子ども・若者はほんの一部に過ぎず、子ども・若者の総体としての現状は掴めていない。また、支援につながれば問題が解決するものでもない。私たちは、このことをどう捉え、何をしていけば良いのか。協同ネットに訪れる子ども・若者から現状を聴き取り、子ども・若者が参加できる地域社会のあり方について地域の方と一緒に考えていくことからはじめようと考えている。そんなわけで、今年度は連続市民講座を企画している。
本特集では、2025年9月23日に三鷹市民協働センターで行われた市民講座の第1回目をお伝えする。
若者トークから見えたもの
3部構成のはじめは、2人の若者にひきこもり状態から現在までの経緯を聴いた。
大学を卒業したが就職氷河期の影響もあり就職できず、そのままひきこもり状態になってしまったМさん。父親から働くことの厳しさを説かれプレッシャーを感じつつ、パソコンや筋トレをしてやり過ごしてきた。 もうひとりのNさんは高校進学したが周囲の人が一変し環境の変化に馴染めず中退。そのままひきこもり状態になった。2人とも10年近くも人との関係が希薄な状態が続いた。他者との接続が切れひきこもり状態へ陥ってしまうと、そこから抜け出すことは容易ではない。自己責任を問われるような社会、その社会の影響を受けて焦る親や周囲からの眼差し、人につながる場や情報の少なさなどが動きを鈍らせる。なんとかやり過ごすことで生き延びたが、10年という期間を耳にすると、もっと早く何とかならなかったものかと思ってしまう。
Mさんは母親からの勧めもありサポステにつながり、風のすみか体験、そしてコツコツ積み重ねてきたパソコンスキルを活かせる場として協同ネットの事務室体験を経て現在の職場につながった。Nさんも風のすみかの体験を経て一旦就職したが、長時間労働・低賃金の現場で続けられず。その後若者の居場所で観た「ワーカーズ」の映画を思い出し労働者協同組合に就職した。入職するとさまざまな困難な状態を抱えた人も働いていたが、みんなが受け入れてくれることで安心感を得て、今ではこの関係を続けたいから働いていると語ってくれた。
二人とも、多くの他者と出会い、自身の方向性を模索してきた。この部分のプロセスについては十分に紹介できなかったが、次の一歩を踏み出していくための情報や場が決定的に足りないということを痛感した。社会につながるためにどんな場が必要なのか、ということについては、次回以降の連続講座のテーマとなっている。
若者期とは何か? 若者支援制度の課題
第2部は岐阜大学の南出吉祥さんに、とりわけ若者をめぐる社会の動向について講義していただいた。南出さんは、子ども・若者の学びを対象にした研究活動と同時に、岐阜の子ども・若者支援の現場にもかかわっている。協同ネットも参加する若者協同実践全国フォーラム(JYCフォーラム)にも参加され、支援─被支援を越えて若者を地域・社会づくりのパートナーと捉えていく若者協同実践という概念を一緒につくり上げてきた。
若者期とは?
若者とは社会からの眼差しを受けやすいリスキーな存在であるという指摘が、南出さんの講義の最初の発題だった。
若者という概念は職業選択ということが出てきて、職業を模索しなければならなくなったことで出てきた。それ以降、子どもでもない、大人でもないという例外規定というような曖昧な位置づけというものが据えられてきた。つまり、未熟な存在としてのレッテルが張られてきたと言える。(中略)若者を規定するときに、失われてしまうもの、危うさがあるということも少なからずあるということに注意してみる必要がある。(中略)こども基本法では、「発達の途上にあるもの」というふうにされてはじめて年齢の区分が取り除かれたが、ともすると未熟な存在という風な眼差しを呼び込みかねない。
早く大人にさせなければならない、つまり働かせなければならない存在としての若者という捉え方を残してしまっているのではないかという意味で、私たちがよく使っている移行期という言葉についても、移行しなければならない、移行できていない人というマイナス方向に捉えられてしまうリスクがある。本来、若者固有の大事にしなければならない時期として押さえなければならないもの、そしてその押さえ方はどのように考えたら良いのだろうか。
自己はどのようにつくられる?
そもそも大人になる、自己を確立するということはどういうことなのか。南出さんの社会的自己の話は、頷く人が多かった。
自己は、多くの場合、自分がいて他者がいる、まずは自分だよね、と言われがちなんだけど、そんなことは幻想にすぎなくて、いろんな他者がいてAでもBでもCでもない存在として曖昧に存在するもの。社会的自己像と言われていたりします。だから、そこにある他者が違えば当然自己も変わっていく。誰々の支援というときに、その本人だけを見てやっていてもだめで、その人が置かれているコミュニティ自体に働きかけていかないといけないんだよというところが見逃されがち。
確固とした自己がいて、それが家庭に行くことによってそこでの役割を果たし、学校に行くことで役割を演じているというよりは、家庭の中でつくられた自己、学校の中でつくられた自己がたまたまくっついて自分を構成している。(中略)ひとつひとつ(の場)に課題があって成長していっている。それが影響し合いながら、独自に自己が展開されていく。その人の全体が子どもか若者かではなく、その人のどの部分に支援が必要かという風に見ていかなければならない。
個人の能力や努力、あるいは経済力に依拠した進路観、さらに早く一人前にならなければならないという圧力によって身動きが取れなくなっている若者は多い。しかし、困難な状態にある若者の持つすべての場に私たちが働きかけることは不可能である。ならば、できない部分を指摘し適応させていくのではなく、関われる場をつくり課題を解決していく仲間として迎え入れていく場が必要だと、私たちは考えてきた。そして、自分(スタッフ)自身が子ども・若者が参加する場に参加するプロセスから学び成長していくことが、ともに学び合う関係ということだろう。

自分の人生を選び取っていく時期としての若者期
与えられた環境の中で葛藤していく子ども、自分の置かれた環境に働きかけて頑張る大人、それに対して、どこが良いかということを探したり選んだりする時期が若者期。
若者期に選ばなければならないことは山ほどある。たとえば、働く─働かない、働き続ける─辞める、実家を出る─出ない、誰と住むか、誰とどのくらい付き合うのか、何にどのくらい時間を使うかなどが挙げられた。
これらをちゃんと模索して悩んで選んでいくということができているのだろうか。急かされて働かされていないか。やってみなければわからないことがたくさんあるなかで、失敗するということが保障されているのか。〇〇すべきや数値で下された判断に従わざるを得ない状況に追い立てられていないか。
こうした視点で若者期の保障を考えるとすると、かなり大掛かりなことからミクロなことまで、整備しなければならないことがたくさんある。選択にかかわる知識や情報、模索や試行錯誤できるための基礎条件(生活の余裕やお金、機会)、挑戦や失敗が許される社会的風潮など、多様な場やそこに接続するための社会資源が不十分ではないかという指摘だった。
若者政策の課題
日本社会の構造の変化とそれに対応する支援策についても触れられた。概要をまとめる。
かつて工業化が進み、多くの若者が集団就職で農村部から都市部に流れ込んでいた1950年代は、実は若者期を支える社会資源が豊かだった。寮や下宿の整備や余暇活動(学習会や趣味サークルのようなもの)、そうしたものを組織する労働運動、中卒後の学びを保障する青年学級、青年の家、勤労青少年ホームなどがあり、そうした政策に行政も力を入れていた。ところが、企業が労働力の囲い込みのために家も生活も余暇も担保するようになった。生活が大変だったら行政ではなく企業に訴えて、福利厚生を充実させるのが当たり前になった。結果、行政は企業の枠からこぼれた人をサポートする。しかし、労働者を集めた方が業績を上げられた時期が過ぎ、グローバル競争、差異化(アイデア勝負)が必要になっていった。コストを減らすことが収益を上げるということになっていき、非正規労働市場が生まれ広がっていく。同時に過剰労働の問題も噴出した。これにより働き続けられない人も増えてきた。器用にこなせる人も、器用に仕事をどんどん引き受け、苦しくなって潰れてしまうということも起きてきている。気がつけば、企業社会に着地するまでにあったさまざまな場はなくなり、多くの不登校・ひきこもり状態を生み出している。
対策は、競争構造を維持しながら(これは日本だけではない)打たれてきた。日本は2003年頃の就労支援から若者支援がはじまり、2005年あたりからニートという言葉が攻撃対象として表れた。「自立支援」というひきこもり支援もはじまり、生活困窮、社会的養護支援などと展開していく。全体として就労自立ということが目指されている。他方、私たちのような民間団体が行ってきたのは若者期を充実させる機会づくりだった。ここに政策と現場のズレがある(図)。

南出さんは、いきなり社会に出る(働けるようになる)のではなく、コミュニティによる自己形成を経て社会に出ていくための、社会との間の緩衝材的な場の保障が若者期の保障として必要なのではないかと指摘する。さらに、競争社会から落ちてくる若者をまた競争社会に戻す穴の開いたバケツに水を戻すような支援ではなく、雇用・労働環境、社会保障の整備、所得保障はもちろん、暮らしにかかわる学び(家事などの基礎的知識やスキル)の保障を含めた親元から離れる「住まい」の保障、そして相談支援だけではなく自己を形成していく多様な場づくりが必要だと締めくくった。
社会に対する信頼をどう回復していくか
第3部は代表の佐藤が改めて若者期の課題について整理した。南出さんの講義でも触れられたが、競争に乗っていた人も支援現場にはたくさん訪れる。むしろそういう人の方が、敗北感が強かったりする。競争に乗ってきた若者も含めて実に多くの若者が抱えているリスク、生きづらさが広がっている。
佐藤もまた、「友だちとの関係を深めながら、参加して大丈夫という信頼感は成立するはず。これに支えられて社会に参加していくのが若者期である」と押さえた。人と人との信頼関係をどう回復していくか、社会に対する信頼をどう回復していくかということが若者期の大きな課題だ。これに対応するのはやはり居場所ということになる。協同ネットが取り組んできた居場所実践とはどんなものか、次回連続講座の第2回はフリースペース・コスモでの学びに注目した企画となっている。
(文・たかはし かおる)
※この記事は、当団体が発行している広報誌「協同ネット通信」No.86に掲載された内容をWeb用に再編集したものです。


