【協同ネット通信 No.87 ① 特集】民学産公協働研究事業 第2回 フリースクールの学びって? 報告

民学産公協働研究事業 第2回 フリースクールの学びって? 報告 家族・支援者・地域に何ができるのか、子ども・若者の進路と未来を考える 不登校34万人・ひきこもり146万人時代

2025年11月1日に三鷹市民協働センターで行われた、三鷹市「民学産公」協働研究事業・子ども若者支援市民講座の第二回イベント、「フリースクールでの学びって?〜多様な学びの場とはどのようなものなのか、体験談をもとに考える〜」の様子をお伝えします。

学校に行かない・行けない子どもたち、不登校の子どもたちの現状は周知の通り、現在約35万人、高校生を加えれば約42万人となり、22年連続で増加しています。それに伴い、フリースクールやオルタナティブスクールといったいわゆる「多様な学びの場」に注目が集まるようになってきました。東京都ではフリースクール等への通所助成がスタートし、急激にフリースクールの数が増えてきています。不登校の子どもたちが通うことのできる場が、多様に準備されること自体は大変嬉しいことです。一方でフリースクール等で行われている営み、学びのあり方に関してはまだまだ知られていないですし、議論も進んでいないと言ってもいいと思います。フリースクール等が不登校の子どもたちの「避難所」的な立ち位置から「もう一つの学びの場」として社会的に認知されることは、そこに通う子どもたちが、自分の「いま」に自信を持って生きることができるようになるためにもとても大切です。不登校をめぐる議論は、「認める・認めない」の段階を終え、では「どんな学びが必要なのか」「どんな子ども期を準備できるのか」を議論するという段階に入ってきているのです。当法人が運営する不登校の子どもたちの居場所「フリースペース コスモ」も設立から32年が経ちました。11月1日のイベントではコスモを巣立って行ったメンバー、現役メンバー、スタッフ(佐藤)、そして現在公立小学校の教員をしている元コスモスタッフが、コスモという「フリースクール」での体験を振り返り、語りあうことを通じて、いま子どもたちに必要な学びの場の「条件」や学びの「あり方」について明らかにしようと試みました。3時間にも及ぶイベントでしたので、そのすべてのお話を載せることはできません。本稿ではスタッフである「私」の視点から、感じたことを抜粋して書き出してみようと思います。

いろんな世代でコスモを語る

市民の皆さんと法人職員でほぼ満席となった会場。その眼差しの先にあるのは、私を含めた6人の「コスモ関係者」。まずは小学4年生からコスモに通っている中3年齢のカナメさん。その隣は、25年前にコスモを巣立った現在41歳のタツキさん。小学1年生から学校には通わず、中1からコスモへ。そして中3年齢のエミカさん、彼女は小1からオルタナティブスクール、そして4年生からコスモへ転籍。ユウキさんは小3からコスモ、今年の春から埼玉の高校に通っている高校1年生。話を進めてくれたのは元コスモのスタッフで、現在は小学校の教員をしている和泉さん。そしてスタッフの佐藤。開始2時間前に初めて全員が揃って顔を合わせたこのメンバーで、どんな話ができるのか?正直どきどきの状況での開幕でした。

不登校の子どもたちが抱える「欠落感」

まずはそれぞれが「コスモとの出会い」を語るというセッションから会はスタート。

「まず僕が連れて行かれたのは近くにあった障害児学級でした。当時僕たち不登校は障がいの一つというか、そこしか受け入れる先がありませんでした」30年前の状況を語るタツキさん。他にもいくつか施設を巡り、たどり着いたのがコスモでした。当時まだ大学出たての若者だった私や和泉さんが、フリースクールについて右も左も分からないまま、文字通り、取っ組み合いながら実践を試行錯誤したその相手が、タツキさん世代のメンバーたちでした。彼らと何ができるのか?手探りで考えた時間や取り組みが、今に続くコスモ実践の土台となっています。現在ではコスモの活動の柱になっている、「米づくり農業体験」や「冒険旅行」も彼らと考えてスタートしました。しかし、彼曰く「農業や冒険は僕のコスモの記憶の中の、100分の1とかそのぐらいの思い出でしかありません」「僕たちは常に普通にならなきゃいけない、何かが欠けている存在だっていう思いがあった」タツキさんは続けます。「だから、同世代の友だちができて、普通にみんなとゲームしてた時間、ミーティングして近くの井の頭公園で遊んでいた時間だったりとかそっちが大切でした」エネルギッシュにいろんな活動を共に作ってきた彼が語った「欠損感」。当時の彼の感情に気づけていなかった…今更ながらショックを感じました。この「欠損感」というか「自己否定感」は世代を超えた他のメンバーからも語られました。「学校は私にとって自由がなかった」というのはカナメさん。「おしゃれをしたり、おかしいと思ったことを素直に口にしちゃうタイプだったんですけど、そういう私は受け入れもらえないと感じていました」徐々に学校が怖くなり、ついには学校の前に行くと体が止まってしまう、勝手に涙が出てくるようになってしまったといいます。「自分はダメだって感じて、不安がいっぱい積もってくる中でコスモに行くようになった。徐々にみんながいる3階に行けるようになって、メンバーに毎日来てほしい、毎日会いたいということを言われて。自分が必要とされてるのが本当に嬉しくて。もうボロボロと泣きました。私がいていい場所があるんだなって」大人が勝手に作り出した学校という「枠組み」。そこにはまっていれば「普通」。そこからはみ出すことは欠損なのだろうか?「学校に行けない自分は普通じゃない」「当たり前のものが欠損している自分は居場所がない」少なくともそう感じさせる環境を私たち大人は、子どもたちに押し付け続けている。もういい加減、変えないと。根本のところから。

子どもが学び出すとき

次にメンバーたちの学びのイメージについて、話は移っていきました。「何かやるべきことがあって、それを達成しなければならない。みんながやっていることをあなたはしていないんですよ、それをしないと社会では通用しませんよ、と直接言われるわけではないけれども、そんな空気を社会からずっと感じてきました」「勉強らしい勉強は30代に入ってから始めたんだけど、それは仕事の関係で本を読むようになって、ある程度知識も必要だったから。勉強の仕方から学んでいきました。仕事に直結する勉強だったので、何のためにやっているのかわからない勉強じゃなかった」タツキさんの言葉に若いメンバーたちも共感します。「私は今、めっちゃ勉強してます。理由があって〜大学(某有名校)に行きたいんです。今までは楽しくないから絶対にやりたくないなって思っていました。今なら勉強することで世界が広がることがわかります。時間が必要なんです、自分の気持ちを整理する時間が」とカナメさん。学びとは外から与えられる「義務」ではなく、自分の生を豊かにするために内側から湧き上がるもの。そのためには「時間」が大切なのです。話はその「時間」を保障する「場」についても広がっていきました。

「私は学校には一度も行っていないのですが、それは勉強に対する恐怖感があって」と話し始めたのはオルタナティブスクール出身のエミカさん。「どこか勉強ができない自分に劣等感を覚えていましたが、サドベリーと出会ってすごく変わったんですね。勉強とか、学校に行っているとかいないとか、そんなことはまるで関係ない。私はここにいていいんだという絶対的な安心感、私の軸はそこで築かれたなって思います。物心ついてすぐに勉強ができるできないで評価されるのは、子どもにとってすごい衝撃なんです。あくまでも学力は人間を構成するほんの一部だと思うんです」彼女は今、高校受験に向けてコツコツと学習を進めています。やっぱり、実存をそのまま受け止められた経験が、その意欲の土台となっています。「君は君のままでいい」というメッセージが子どもたちと向き合う際の基本なんですよね。「コスモではやりたくないことをやらされる環境じゃないから、やりたいことだけできるって環境だったから、なんか一つのことに没頭できるっていうか、納豆を研究するみたなことやったんだけど、その時はそれしか考えてなかった」と言うのはユウキくん。「僕は冒険旅行とかも大切で。低学年の時に年上の人たちが行っているのを見て、ずっと憧れていたというか。自分が行くとなったら毎日のようにミーティングしてルート調べて、持ち物考えて…。」「今、高校に行っていて、自由な学校だけれども、クラスの人数が多いからコスモの空間でやっているような、みんなが話すミーティングってのはなかなかできない」とのこと。タツキさんも応えます。「確かにコスモのミーティングでは、意味のあること言わなくちゃいけない、みたいな感じがなくて言いやすいよね。“〜が楽しかった”とかなんてことない普通の会話でもみんなが受け止めるから」「そうですね。レスポンスがあるから、ちゃんと話を聞いてもらえているというのがあるので」とユウキさん。25年という時間の壁、世代の壁を超えて、コスモという場の根幹について共通の言葉・共通のイメージで語ってくれていることを、とてもうれしく感じます。

フリースクールでは秩序だって育つ

ユウキさんは続けます。「フリースクールってバラバラで好き勝手なことしていると思われるかもしれないけれど、そうでもないんです。僕の学校、授業が始まってるのに生徒が来ないとか、ホームルームの時間が始まっても議論が始まらないとか、意外とルーズなんですよ。コスモは自分たちで時間割というか予定を決めるので、みんながその時間に集まるというのも合意して決めているんで、基本的に遅れることってないんですよ。学校でも自分たちで決めた委員会なんかは時間通り集まったりするので、結局、秩序というか、そういうのは自分たちで決めたことの方がやりやすいんです」コスモでは米づくりをするにしても公園に行くにしても徹底的に話し合います。「俺はドッチボールがしたい」「鬼ごっこがいい」そんなバラバラをどうまとめていくのか。「妥協し合って、許せるところを削って、あるいは別の方法を考えたりしながら一つの空間を作っていくんです」その話し合いのプロセスそのものが、社会を創り出す一員へとメンバーたちを成長させます。時には「嫌だ」「やりたいくない」も受け入れられながら、むしろ、その否定を十分に受け入れられるからこそ、子どもたちの心は「自分からやってみたい」という学びへの渇望で充満していくのですね。彼らの言葉から、あらためて子どもたちが動き始めることのできる環境、子ども時代の条件について考えることができました。

子どもたちの動き出す条件、豊かな学びの時間の必要性。それは若者たちであっても、いや大人であっても同じだと思うんですよね。「〜じゃないとだめ」「〜のスペックが足りない」「〜力をつけてステップアップ」そんな言葉が溢れている環境では、誰だって息苦しくなる。生きづらくなる。私たちは子どもから若者までみんなが生きやすい、活かされやすい社会を創りたいですね。私たちの活動に関わる人たちと一緒に。

(文・さとう しんいちろう) 

※この記事は、当団体が発行している広報誌「協同ネット通信」No.87に掲載された内容をWeb用に再編集したものです。